2018年10月15日(月)
『神はこのイエスをよみがえらせました。』使徒行伝2章32節
イエスに関する議論は果てしなく続きます。
フランスの作家モーリアックはこう書きました。
「刑場に引かれて行くあの若者を見よ。
モーツァルト通りの真ん中で、ざわめく群衆に囲まれて彼は歩道に引き出される。
するとひとりの女が彼の顔に唾をかけた。
その途端に彼はキリストになった」。
モーリアックは、イエスのうちに無抵抗の苦悩者の原型を見ようとしたのです。
他の人々はイエスのうちに「自分の運命を引き受けて立つ」人の姿を見ました。
また、イエスこそは「ヨーロッパ社会の血の中に毒を流し込んだ」男だ、と言った人々もいます。
あるいは彼を、弱き者の擁護者と見立てる人たちもいるし、市民階級は彼を自分たちの財産の保護者だと考えます。
また、いかにしばしばイエスはモラリストあるいは「宗教教祖」と呼ばれることでしょう。
なんという混乱でしょうか。
いったいイエスについて、論駁の余地のない、断じて崩れない証言というものはないのでしょうか。
いったい彼は何者なのでしょうか。
さて、イースターが確かな証言を私たちに与えます。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」。
生ける神はそこで、このことを立証なさいました。
イエスを死からよみがえらせ、それによってイエスについて未曾有の証言をなさったのです。
今や私たちは、イエスがどんな方であるかを知ることができます。
神の御子であり、隠れたる神の現れです。
「御父への扉」です。
「良い羊飼い」です。
そうでなければ、主が十字架で苦しまれることはありませでした。
そして復活によって、十字架には罪とさばきからの救いのあることが、私たちに立証されたのです。
なんと輝かしい確かさでしょうか。
御父よ。
あなたはイエスを包む霧を吹き払ってくださいました。
人間の意見を聞いて回る必要はありません。
あなたが確かさを与えてくださいました。
感謝いたします。アーメン
God Bless You!!
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