2018年10月14日(日)の手紙

2018年10月14日(日)


『わたしに彼ら(わたしの羊)をお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。」』ヨハネによる福音書10章29節


ここには、なんと神秘に満ちた、隠れた優越性が見られることでしょう。
神の国からはるか遠くにいた人々が、キリストへの信仰に立ち返って、彼を救い主として迎える。
それはこの世で絶えず起こっていることです。

どんなふうに、それは起こるのでしょうか。
おそらくある人は、明晰に語る説教者に巡り会えたからです。
またある人は、知人から福音のあかしを聞いたからかも知れません。
あるいは別の人は、これまでの自分の歩みが誤っていたこと、そのために、いかに不幸で平安のない生涯を送ってきたかということに、自ら気づいたからかも知れません。

それで彼らはイエスに立ち返る決心をしたのでしょう。

確かにみなそのとおりです。
が、それはまだ、人が主への信仰に至る、決定的な要因ではありません。

では決定的な要因は何でしょうか。
イエスはそれをここで明らかにしておられます。

人が救われるのは、天の御父がその人を御子イエスにお与えになるからです。
つまり、私たちが主イエスを受け入れるのに先立って、すでに何事かが始まっているのです。

御父は私たちを御子にお与えになりました。
それゆえ、主イエスのものとなるまでは、私たちの心には平安はありませんでした。
また、それゆえにこそ、聖霊は私たちのうちに働いて、私たちを主イエスへと引き寄せてくださったのです。

私たちを大いに励ます事実。
それは、イエスの羊とは、いと高き方によって良い羊飼いに与えられた者たちだ、ということです。

こうして彼らは、弱さのままで主のものとされます。
なぜなら彼らは紛れもなく主の所有だからです。

彼らは御父から御子に贈られました。
しかも御子は彼らをご自分の血によって買い取られたのです。

主よ。
私たちの信仰が確かな土台の上に据えられていることを、感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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