2018年10月12日(金)の手紙

2018年10月12日(金)


『そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれですか。」』ヨハネによる福音書8章25節


「あなたはだれですか」。
せっかちに、ばかにして、困窮して、誠実に、求める心で…。
問いは繰り返されます。

だれひとり「興味はない」と言ってはなりません。
聖書は「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません」と語ります。

私たちのいのちは、イエスを持つかどうかにかかっているのです。

ですから私たちは、この方がだれであるかを知らなければなりません。
パレスチナの村々を歩いたこの方が本当に神の御子なのでしょうか。

「イエスよ。あなたはだれですか」。
ルターは彼の小教理問答書にこう書いています。
「御父により永遠のうちに生まれたまいし、まことの神。
また、処女マリヤより生まれたまいし、まことの人、わが主」。

イエスにおける神性と人性の結合は、神のみわざであり、人間知性の把握を超えています。
が、知性も事実の前にはひざまずかねばなりません。
イエスの生涯の至る所に、私たちはこれら両方の性質を見いだすのです。

造られた人間として、彼は嵐の舟の中で眠りました。
が、そのすぐあとで舟べりに立って、湖と風に沈黙をお命じになりました。

犯罪者として、彼は十字架の上で恐怖の死を舐め尽しました。
が、死に際しては「完了した」と、勝利の雄叫びをあげられたのです。
主は私たちの救いの完成者です。

死人として、彼は墓に葬られました。
が、三日目には勝利者としてよみがえったのです。

これは私たちにとって極めて大切なことです。
今こそ主は、神と人との懸け橋です。

主は、聖なる神と私たち罪人とを隔てる淵を、乗り越えてくださいました。
今こそ主は、私たちが神に近づく、天へのはしごです。

主イエスよ。
私たちを、いよいよ深くあなたを知る者としてください。アーメン

God Bless You!!


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