2018年1月31日(水)
『彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。』ルカによる福音書18章38節
「止まれ」。
この箇所では、そう叫ばなければなりません。
「急いで読み飛ばすことがないように。
信仰の奇蹟を味わうように」と。
パウロは、「人は心に信じて義と認められ口で告白して救われる」と語りました。
これほどに、例の物乞いを克明に描写した御言葉はありません。
彼はイエスを心から信じて、はっきりと口で 言い表したのです。
が、信仰によるこの奇蹟の喜びには何か唐突なものをも感じます。
順を追って調べてみましょう。
エリコの道端に彼は座っていました。
ある日、大きな人の波が前を通りかかります。
人々が「ナザレのイエスだ」と教えてくれました。
たちまちのうちに、彼の心に光がさし込みました。
彼は聖書をよく知っていました。
その中に、この世へのひとりの救い主、贖い主の約束が語られていることも知っていました。
それに関して聞いたことすべてに、深い印象を受けていたからです。
その方は神から来る。
が、ダビデ王の家系から生まれる。
場所はベツレヘム。
イエスについても、彼は聞いていました。
だから、その方が通られると知ると、「この方こそが救い主」だと、彼はただちに認めることができたのです。
ベツレヘムではなく、「ナザレのイエス」と人々が言うのは少し変だと感じたけれども、彼はたちまち叫び出します。
「イエスよ、ダビデの子よ、憐んでください。
イエスよ、メシヤよ、救い主よ。
助けてください」。
目の見えない物乞いである彼は、まず、その霊的な目を開いていただいたのでした。
イエスを神の御子と認め、告白し、呼び求めるためでした。
主よ。
あなたこそは、ほかでもない私たちの救い主です。
あなたを拝します。アーメン
God Bless You!!
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