2018年1月21日(日)の手紙

2018年1月21日(日)


『悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。…もしあなたが私を拝むなら…。』ルカによる福音書4章5節~7節


聖書が悪魔を自明のこととして語っているのは注目に値することです。
太陽や空気と同じ現実の存在として悪魔を扱うのです。
「悪魔なんかいない」と現代人は笑いますが、そうでしょうか。
悪魔は、昔の人々の空想なのでしょうか。

人の心は、そうは言いません。
心の奥底で私たちはあの古代ペルシャの詩に共鳴します。
その詩は、悪魔の不気味な力が私たちのたましいを支配するようすを描いています。

「人の心はお前があやつれ。
母の胎がはらんだその日からいまわのきわのひと息まで、お前が歩みをリードする。
断末魔こそ、お前のものだ」。

しかし聖書は、悪魔に向かってこんなふうに教えたりはしません。
聖書はその現実認識の中で、あるがままを捕らえるだけです。
聖書にとってより重大なのは、「神の御子が悪魔のわざを打ち破るために来られた」という事実を告知することです。
そして、この告知は、イエスがあの高い山において悪魔を拒絶なさった時に始まりました。

聖書の使信。
それは、イエスには暗やみの力からの自由がある、ということです。
それゆえイエスを信じる人々は、使徒パウロの次のことばを誇りとします。
「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました」。

主イエスよ。
私たちの主となってください。
サタンが私たちに向かって何も言い得ないことを、どうぞ信じさせてください。アーメン

God Bless You!!


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