2018年1月13日(土)
『そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。』ルカの福音書2章46節、47節
驚くべきことに、神殿の中で博士や学者らが彼を取り巻いて神についての深遠な対話を始めた時、イエスはわずか12歳でした。
それはイエスの生涯の偉大な始まりでした。
では主が死に際してことばを交わされた最後の相手はだれであったでしょうか。
傍らで十字架にかかった人殺しの男でした。
宗教エリートと始めて、殺人犯とともに終える。
イエスは後者に優先権をお与えになったのです。
これはとんでもない水準低下ではないでしょうか。
いま私たちが注目するこの点は、イエスにではなく、神殿の学者たちにとって、まことにゆゆしい問題であったことでしょう。
イエスの語られたたとえ話がこのことを説明しています。
主は神の国を、王が催す大宴会にたとえられました。
王はしもベを遣わして客を招かせます。
しかし、人々は来ようとしません。
そこで王は使いを「街道や垣根」に送り、「貧しい人や体の不自由な人」、来たい人ならばだれでも連れて来るようにと命じます。
イエスご自身こそが、宴会を知らせる「神のしもベ」です。
イエスはこれらの学者に神殿で呼びかけたのです。
しかし、彼らは主を退けました。
そこで主は、失われた者、盗賊、取税人、罪人のところに向かわれました。
今日も同じです。
イエスは宗教エリートを頼りとなさいません。
しかし、私たちはみな、
何者であろうとも、
イエスなしには、生きることも救われることもできない者たちです。
主よ。
あなたの恵みの招きを軽んじることのないよう、お守りください。アーメン
God Bless You!!
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