2017年5月8日(月)の手紙

2017年5月8日(月)


『もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。』ヤコブの手紙1章26節


下品な言葉に対する社会許容は年々上がっているけれど、クリスチャンは同調すべきではない。
「あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩」くべきであり、どうすれば自分の言葉で神に栄光を帰することができるかを考えるべきだ。

私達に分別があるなら、私達は自分のくちびるを用いて神に喜んでいただくことができる。
箴言10章19節は「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある」と教えている。

何かを言おうとする時は、口にフィルターをかけて何を出すか注意しよう。
「口と舌とを守る者はその魂を守って、悩みにあわせない」と聖書は教えている。

言いにくいことを言わなければならない時でも、穏やかで棘のない言葉で話すことが肝要だ。
「柔らかい答は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす。
知恵ある者の舌は知識をわかち与え、愚かな者の口は愚かを吐き出す」と言われている通りだ。

最後に、神の子どもが非難されるような言葉を使ってはいけない。
パウロの「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない」という警告は、確固たる基準だ。

どんな時でも、神の栄光を輝かせるために、聖なるお方に受入れられ喜ばれる言葉を使おう。
私達の口から出る言葉が、私達の品性を明らかにしているのだから。

God Bless You!!

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