2017年4月30日(日)の手紙

2017年4月30日(日)


『生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。』ガラテヤ人への手紙2章20節


私達は、イエスは私のために死んでくださったと言う。
それは真理だけれど、それだけではない。
イエスが十字架上で死なれたので、私達に内住していた罪の力も死んだ。

本質的な意味で、私達はキリストと共に十字架についた。
私達は、イエスと共に十字架で死んだので、私達ではなくイエスが人生の舵を握り、私達を行くべきところに運んでくださるべきだ。

自己中心や貪欲、肉欲などに寄り道をしたり、高慢の沼地に陥ったり、恨みの荒波に破船することはない。
私達は死に、生きているのは私達の内におられるキリストだというなら、キリストに人生の舵を握っていただき、人生の行先を定めていただくことは、私達にとって喜びのはずだ。

まだ、人生の舵を握っているなら、そろそろイエスに交代してもらう時だ。

God Bless You!!

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