2017年12月26日(火)の手紙

2017年12月26日(火)

『そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。』コロサイ人への手紙3章11節


偏見の実態に関する研究の結果、ほとんどの人は偏見を抱いており、偏見は良くないと積極的に反対する人でさえ、その影響を受けていることが分かったそうだ。

私たちの自尊心は、自分の属しているグループが他より優れているという優越感からくると言う。
偏見を乗り越えるのは簡単ではない。
それは、神の家族であっても同じことだ。

パウロがコロサイのクリスチャンに述べたことは、今日の私たちに向けた教えでもある。
すなわち、私たちが他のクリスチャンに対して言うことやすることは、クリスチャンの一致を反映すべきだというものだ。
偏見は、見るものをゆがめさせ、語るときには偽らせ、行動するなら破壊に至らせる恐ろしいものだ。

パウロは言った。
「(あなたたちは)新しい人を着たのです。…そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。
キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。」

私たちは、優越感に浸ったり、偏った扱いをしたりしてはいけない。
むしろ、同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容などを反映させる言動をすべきだ。
また、「これらすべての上に、愛を着けなさい。
愛は結びの帯として完全なものです」とも教えられている。

キリストのからだには、人種、国籍、社会的立場の優劣はない。
キリストは十字架によって、私たちをひとつにしてくださったのだから。

God Bless You!!

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