2017年11月30日(木)の手紙

2017年11月30日(木)

『憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。』申命記10章12節


職場のふたりの上司についての話。

一方の上司は部下から好かれていますが、恐れられてはいない。
みんなは彼を好いてはいるけれど、彼の指示には従わない。
彼の権威に敬意を払っていないからだ。

もうひとりの上司は、部下に恐れられているけれど、好かれてもいる。
そして、みんなの従順は、そのことを示している。

神の願いは、私たちが神を畏れると同時に、神を愛すること。
今日の聖書の御言葉は申命記10章だけれど、そこには、主のおきてを守ることが、主を畏れ、主を愛することだと書かれている。

12節には「ただ、あなたの神、主を恐れ、主を愛し」と記されている。
主を畏れるとは、主に最高の敬意を払うこと。
クリスチャンにとって主を畏れるとは、神の存在や神の性格を「怖い」と思うことではない。
これは、感性の問題ではない。
むしろ、神の品性や権威を心から尊敬し、どんな場合にも神の道を歩み、神の命令を守らなくてはならない。

私たちは、それが義務だからではなく、神を愛しているから、心を尽くし、精神を尽くして神に仕えている。
愛は「好き」とか「嫌い」などという感情ではない。
クリスチャンの愛は「神が私を愛してくださった」ことに対する感謝の応答として流れ出るものだ。

聖書は語っている。「私たちは愛しています。
神がまず私たちを愛してくださったからです」と。
神を愛し畏れるなら、自ら進んで、主の命令に従って歩むことがではずなのだ。

God Bless You!!

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