2017年11月27日(月)の手紙

2017年11月27日(月)

『捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。』ピレモンへの手紙1章10節


パウロは処刑を待つ間、自由を味わっていた。
彼は自らを「キリスト・イエスの囚人」と呼び、投獄中の自分を比喩に、永遠の赦しを得て神の家族になるとはどういうことかを、救われていない囚人たちに理解して欲しいと思った。

鉄格子や鉄の扉は、ひとつの閉ざされた状態の比喩だ。
身体が麻痺して動けなかったり、長期の失業や貧困から抜け出せなかったり、といった状況も、ある意味では監獄と同じ。

もしかしたら、別の何かを耐え忍んでいる方もおられるだろう。
こんなことは、無いに越したことはない。

だけど、キリストなしに「この世」で暮らすことと引き換えに、キリストの囚人として人生を送ることを捨てる人は、きっといないだろう。
キリストの支配のもとにあるからこそ、私たちは真の自由を得るのだから。

God Bless You!!

a:173 t:2 y:0