2017年1月15日(日)の手紙

2017年1月15日(日)


『みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。』マルコによる福音書12章44節


イエス様が、宮の献金箱の近くに座って献金をしようとやって来る人々を見ておられると、多額の献金をしたと見せびらかしている人達がいた。

その時、ひとりの貧しい女性が来て、「レプタ銅貨」をふたつ投げ入れた。
レプタ銅貨は、流通している通貨の中で最も価値が低かったので、この婦人の捧げ物は、ほとんどの人にとっては献金しないも同然の小さなものだった。

だけどイエス様は、人々には見えないものを見ておられた。
彼女は、「あるだけ全部」を捧げたのだ。

この婦人は、人の目を気にしていたのではない。
ただ、自分のできる限りのことをしようとした。
そして、イエス様は、そのことに目を留められたのだ。

主が私達のすべてをご覧になっていることを、忘れてはいけない。
たとえ、それがどんなに小さなことだったとしても。
それは、大変な時でも明るい顔でいることや、通りがかりの人にさりげなく親切にしたいという程度かもしれない。
困っている隣人のために、心の中で短く祈ったことかもしれない。

イエス様は、言われた。
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。
もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。
よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」。

神は、手ではなく心を、贈り物ではなく贈り主をご覧になっている。

God Bless You!!

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