2016年10月6日(木)の手紙

2016年10月6日(木)

『わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。』創世記17章4節


神がアブラハムと妻サラに息子を約束してくださった時、アブラハムは信じられなくて「百歳の者にどうして子が生れよう。
サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」と笑って答えた。

サラも「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」と言って笑った。

私達は老齢になると、神が約束を果たしてくださると望むには、年を取りすぎてしまったと思いがちだ。

社会的地位やそれなりの立場を離れて久しく、頭の回転もかつてのように早くはない。
体力が衰え持病もあるので、自由に外出もできない。
生涯をかけて築いてきたものを、日々失っていくように感じてしまう。

「…落ちぶれていって、どうなるというのか」と言った詩人がいるくらいだ。

確かに、自分の力に頼るなら、どうにもならないだろう。
だけど神は、私達の想像を遥かに超えて働いておられる。
神はサラに「主に不可能なことがあろうか」と尋ねられたけれど、私達にも同じ質問をなさっている。
勿論、主に不可能はない。

神の御心のためにいつでも用いてくださいと言えるのなら、年を取りすぎて役に立てないという事など絶対にありえない。

God Bless You!!

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