2015年10月27日(火)の手紙


2015年10月27日(火)

『しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう』マタイによる福音書5章22節


こんな話を聞いた事がある。

ひとりの男性が、友人と食事をしていた時、白人の男性が彼に対して「ボーイ」と呼んだそうだ。

彼は衝撃と共に怒りを覚え、非常に傷ついた。
友人までもが、涙を流していた。

その理由は、「ボーイ」とは、アメリカの奴隷制度の中で使われていた屈辱的な呼び方で、黒人を人間以下であると見なして、人としての尊厳を奪おうとした言葉だったからだ。

その汚い言葉が心に突き刺さった時、彼は同様にひどい呼び名で相手を呼んでやりたい衝動にかられた。
だけど、主イエスの御言葉によって、思いとどまる事ができた。
それは、殺人と怒りについて教えられたものだ。

イエス様は、十戒の6番目「殺してはならない」を引用し、それに反した場合の報いについて話された。
また、この教えの更に深い意味を説かれた。

殺すとは、単に肉体の生命を奪う事だけではなく、侮辱的な呼び方をする事も同罪だというのだ。

人を「能なし」とか「ばか者」と呼ぶ事は、ユダヤの文化では、相手をひどく見下す事だった。

人を見下す事が、なぜ、それほどの罪なのだろう。
それは、人が神の姿に似せて造られたからだ。
人を侮辱する事は、神を侮辱する事になる。

隣人を尊敬する事は、私達の日々の勤めだと、イエス様は弟子達に教えられた。
私達はイエス様の教えに従い、人の尊厳を奪ってはいけない。

God Bless You!!


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