2014年10月26日(日)の手紙

2014年10月26日(日)

『主はわたしの悩みを顧みてくださるかもしれない。また主はきょう彼ののろいにかえて、わたしに善を報いてくださるかも知れない』サムエル記下16章12節


サムエル記下16章のダビデとは対照的に、私達は自分で仕返しをしたいと思ってしまう。
相手を黙らせ、不公平を排し、すべてを正しくしたいと思ってしまう。

だけど、ダビデは自分を呪うシムイを「ほうっておきなさい。
彼に呪わせなさい。
主が彼に命じられたのだから」と家来達に告げた。

年歳を重ねるにつれ、私達もダビデのように、神様の愛に守られていると気付く事が多くなる。
悪口を言われてもあまり気にしなくなり、神様にゆだねようと思う事が増えていく。

勿論、人に避難されれば、その根拠を示すように求めたり、根拠のない場合にはきっぱり否定する必要はある。

だけど、自分にできる事をした後は、神様が私達の正しさを証明してくださる時を我慢強く待つ以外、何もできない時もある。
私達は、神様の御心に従う謙遜さを学んでいくのだ。

私達を中傷する言葉にではなく、私達を無限に愛してくださるお方に目を向けるのが賢明だ。
心を傷つけられ、悔し涙を流したとしても、それは神様がお許しになった事なので、最終的には神様が最善をもたらされると信じる者になりたい。

誰が何と言っても、私達は神様の御手の中にいる。
神様は、私達の苦しみをご覧になっておられる。
時がくれば、良い報いをくださる。
だから、神様を信じ、神様の愛の中で生きていこう。
嵐が来れば、どこが本物の避け所か分かるから。

God Bless You!!


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