2014年10月16日(木)の手紙

2014年10月16日(木)

『すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」』マタイによる福音書21章5節


もし、イエス様が乗っておられたロバが、すべての歓声は自分のためだと思ったら、どうだろう。
あの小さい動物が、ホサナと木の枝は自分をほめたたえるためだと信じたら、どうだろう。

私達は、ロバだ。
主に仕えれば仕えるほど、それがわかるようになる。
私達は、イエス様を運ぶ者に過ぎず、誉れを受ける者じゃない。

マタイは、イエス様がこのようにエルサレムに入られた事を、ゼカリヤの預言を引用しながら記録している。

シュロの日曜日、ロバはイエス様を運ぶ道具だった。
ご自分の命を世の罪のためにお捨てになる神の御子を、その町に運んだ。

私達が健全な「ロバの考え方」を養うなら、それは、人生の旅路を歩む上で価値あるものになるだろう。
自分がどう思われているかじゃなく、「人々に王である救い主キリストが見えているだろうか」と心配するようになる。

主に仕えて自分が認められる事よりも、主イエス様があがめられる事を望むようになる。
私達の人生は、窓だ。
それを通して、人々がイエス様を見るからだ。

God Bless You!!


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