2013年5月31日(金)の手紙

2013年5月31日(金)


『人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである』マルコによる福音書10章45節


私達は、野心に心を奪われてはいけない。
自分の人生を支配しているのが誰なのかを忘れて、思い違いをしてはいけない。

目的のためには手段を選ばず、悪事を働くとまではいかなくても、神様が人生の支配者である事を忘れさせてしまうくらい、心を野心に明け渡してはいけない。
神様の御手にゆだねようとしないで、自分自身の手で何かを動かそうとしてはいけないのだ。

ヤコブとヨハネが、イエス様と話している場面でも、彼らの強い野心が見え隠れしていた。
彼らの目標は、天の御国の栄光と力の座に着く事だった。

その座を与えるかどうかは、イエス様が決められる事なのに、自分の気持ちを抑えきれず、大胆にもそんな要求をした。
彼らはあまりにもせっかちで、神様の御手にゆだねる事ができなかったのだ。

野心はいつも悪いというわけじゃない。
ただ、燃えるような野心に身をゆだねるなら、神様を待てなくなって、弟子達のように信仰の欠如が暴露されてしまう事にもなりかねない。

目標も願望も神様にゆだねて、最善のものを神様が与えてくださると確信できる人は、幸いな人だ。

主のために熱くなる事を求めよう。
だけど、その事でさえも私達の動機が問われている事を決して忘れてはいけない。

God Bless You!!

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