2012年4月3日(火)

2012年4月3日(火)


『さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう』詩篇95篇6節


神を崇める。

私達は祈る時、ふさわしい言葉を探すのにいまだに苦労している。
いまだに聖書の言葉の意味をはっきりつかめない。
私達はいつひざまずいて祈り、いつ祈り終えて立ち上がるべきなのかわからない。

だけど詩篇は、賛美と祈りと、神に飢え渇いた心で満ちている。
挑戦的な詩がある。
敬虔な詩がある。
歌があり、祈りがある。
きわめて個人的な詩もあれば、世界中の人が口にするために書かれたかのような詩もある。

その多種多様さは、礼拝が個人的なものである事を、私達に思い起こさせてくれる。
礼拝の極意などありはしない。
モデルの礼拝なんて存在しない。
あなたが感動したものが、他の人の妨げになるかも知れない。
反対に、あなたが何も感じないものが、他の人の人生を変えているのをあなたは知らない。

礼拝の仕方は人それぞれ、皆違う。
でもただひとつわかっている事がある。
それは、誰もが皆、神を礼拝すべきなのだ。

God Bless You!!


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