2012年4月2日(月)

2012年4月2日(月)


『その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊』ヨハネによる福音書1章29節


イエス様は、十字架にかかられるためにお生まれになった。
ご自身が何者であるかに気付くようになると、ご自分のすべき事をも意識されるようになった。
十字架の形をした影を常に目にし、地獄に落ちた者達の悲鳴を耳にしておられた。

だから、最後にエルサレムに向かわれた時、イエス様の御顔は揺るぎない決意に満ちていた。
主は、死に向かって歩み続けられた。

イエス様は、はっきりと語られた。
「命を捨てるのは、それを再び得るためである。
だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。
わたしが、自分からそれを捨てるのである」と。

だからイエス様の死を偶発的な出来事だと思わないで欲しい。
そんな言葉で片付けられるものじゃない。
イエス様は、自ら進んで十字架にかかられたのだ。

それを何と呼ぶかはあなたの自由だ。
恵みの行為。
救いの計画。
殉教者の犠牲。
だけど、ただひとつ言える事は、十字架に向かうイエス様の背中を最後に押したのは、他でもない「わたし」なのだ。

God Bless You!!


a:467 t:5 y:3