2012年4月11日(水)

2012年4月11日(水)


『また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた』マタイによる福音書9章36節


イエス様は、なぜ十字架にかかって死ななければならなかったのか。
勿論、わかっている。
表向きの答えは聞いた事がある。
「古い律法を果たすため」「預言が成就するため」

この答えはどれも正しい。
確かに正しい。
けれども、ここにはそれ以上のものがある。
ひとりひとりにあてた、実に憐れみ深い、切々とした思いだ。

それは何か。
絶望的な眼差しで、暗い天を見上げ、同じように「なぜ?」と叫ぶ私達のように。
そのひとりひとりに、主の胸が張り裂けるような痛ましさを覚えられたのではないだろうか。
「弱り果て、倒れている」彼らを見て、主の心は引き裂かれたのではないだろうか。

私達は、傷ついた人々のそばに身をかがめる主の姿を思い浮かべる。
主が耳を傾けておられる。
主の瞳が潤み、釘に刺し貫かれた手が、彼らの涙を拭い去る。

主もまた、かつて孤独を味わわれた。
そんな主だからこそ、わかってくださるのだ。

God Bless You!!


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