2012年3月23日(金)
『そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて』マルコによる福音書14章33節
イエス様が苦しんでおられる。
恐怖を感じておられる。
現代訳聖書では、「悲しみ、もだえ始められた」とある。
「もだえる」とは苦しみに身をよじり動かす事を意味している。
イエス様が苦しんでおられる。
イエス様は聖なる方の衣ではなく、人間の衣をまとっておられるのだ。
今度、またあなたの心が疑いや迷いの霧におおわれた時、ゲッセマネの園のイエス様を思い出して欲しい。
今度、誰にもわかってもらえないと思った時は、イエス様の叫びを思い出して欲しい。
誰も自分の事なんか気にかけてくれないと自己憐憫に襲われた時には、苦しみもだえる主の姿を思い出して欲しい。
そして、罪に乱れたこの世を生きる苦しみを、神は本当に気付いてくださっているのだろうかと思った時は、木々のあいだで涙と共に懇願する主の声に耳を澄まして欲しい。
汗が血のしたたりのように流れる主の祈りは、一体、誰のためなのか。
身をよじりながら、悶絶の苦しみの中祈られた祈りは、一体、誰のためなのか。
罪ひとつ犯した事のないお方が、罪のかたまりになられたのは、一体、誰のためなのか。
すべては、あなたのためなのだ。
God Bless You!!
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