2012年3月20日(火)

2012年3月20日(火)


『神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた』コロサイ人への手紙2章14節


世界中の宗教は、ふたつのグループに分ける事ができる。
律法主義か福音主義か。
人間が行うのか、神が行うのか。
なされた行為に基づく報いとしての救いか、イエス様の死に基づく贈り物としての救いか。

律法主義者は、救いを決める最大の力は自分自身だと信じている。
もしもあなたが正しく見、正しく語り、正しく行っていたら、あなたは救われる。
責任は神にはない。
すべての責任はあなた自身の内にあるのだ。

その結果はどうなるか。
外見は光り輝く。
話はうまいし、日々の歩みも実に確かだ。

でも近くで良く見てごらん。
注意深く耳を傾けてごらん。

何か欠けているものがある。
それは何だろう。
それは「喜び」だ。

じゃあ、そこにあるのは何?
不安(あなたは十分にはやれない)
傲慢(あなたは十分やってきた)
失敗(あなたは誤りを犯した)

霊的な生活は、人間の努力によるものではない。
それは聖霊に根差し、聖霊によって成り立っているものだ。
霊的に達成した事はすべて、神によって生み出され、造られ、力を与えられているのだ。

God Bless You!!


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