2012年2月29日(水)
『だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか』コリント人への第二の手紙11章29節
現代訳聖書では「だれかが苦しんでいるのに、どうして私がそれに無関心でいられようか」と訳されている。
無関心。
今の時代を象徴している。
孤独と戦いながら、死の恐怖におびえている隣の老人を誰も知らない。
子育てに悩み、情緒不安定になっている向かいの主婦を誰も知らない。
成績が思うように伸びず、テスト用紙を隠している自分の子どもを誰も知らない。
教会のベンチに座りながらも、心が引き裂かれそうになって苦しんでいる教会員を誰も知らない。
生きる希望を失って、今まさに屋上に立っているサラリーマンを誰も知らない。
アブラハムがロトのために祈らなければ、ロトとその家族は滅びていただろう。
モーセがイスラエルの民のために祈らなければ、民は滅びていただろう。
バルナバがサウロを受け入れなければ、偉大なパウロは誕生しなかっただろう。
イエス様が私達のために死んでくださらなかったら、私達はどうなっていただろう。
私達の無関心が、いったいどのような世界を造り出しているのだろう。
私達の愛の祈りが世界を変える力を持っている事を誰が知っているのだろう。
God Bless You!!
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