2012年2月28日(火)

2012年2月28日(火)


『なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである』ローマ人への手紙1章21節


快楽を愛する人は、この宇宙を創造したお方を見た事がないから、今の世界を越えたところに永遠の命などあるものかと思っている。
この部屋の向こうに真実なんてあるはずがないと思い、快楽を追求する以外の目的を持ち合わせていない。
神の事など、人生の要因になっていないのだ。
永遠についても。これっぽっちも関心がない。

快楽を愛する人は言う。
「誰がかまうもんか。
俺は悪いかも知れないけれど、だからってどうだっていうんだい?
俺が何をしようが、俺の勝手じゃないか。
だって、俺の人生なんだから」

彼は父なる神の愛を知る事よりも、自分の情熱を満足させるほうに関心がある。
快楽を追い求めるのに夢中で、神を求める時間も余裕もない。

彼の言っている事は正しいのだろうか。
神に背を向けて、快楽に溺れた日々を過ごしていいのだろうか。
パウロは言っている。
「断じてそうではない」と。

私達が神をないがしろにする時に失うものは、輝く十字架をかかげる教会だけではない。
私達は、自分の基準を失い、生きる目的を失い、礼拝する対象を失ってしまう。
そして何より、今も差し伸べられている主の手を振り払っている事になるのだ。

God Bless You!!


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