2012年2月20日(月)

2012年2月20日(月)


『わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます』ヨハネによる福音書9章31節


祈りの生活の中には、一貫性のないものがある。
今日は必要だけど、明日はいらない事もある。
何て自分勝手。

本心からの祈りでないものもある。
柔軟性に乏しく、どこか表面的だ。
祈りの生活というより、儀式に近い。
毎日の事なのに、熱意が感じられない。

他にも正直さが足りない祈りもある。
だって正直に言うと、本当は祈りが聞かれるのだろうかと思っている。

いったいぜんたい、神はなぜ、私達と語りたいと願われるのか。
神はすべてを知っておられるなら、神に何かを語る必要があるのだろうか。
神がすべてを支配しておられるなら、私達が何かをする必要があるのだろうか。

私達の祈りはぎこちないかもしれない。
私達の努力は微々たるものかもしれない。
けれど、祈りの力はそれを口にする者にあるのではなく、それをお聞きになるお方にあるのだ。
そして、神はあなたと話したくてたまらない。
だから耳を傾けて待っておられる。
あなたが口を開くのを。

God Bless You!!


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