2012年1月12日(木)

2012年1月12日(木)


『主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」』ルカによる福音書10章41-42節


マルタが「心配して、気を使って」いたのは、良い事をしようとしていたからだ。
イエス様に食事のおもてなしをしようとしていた。
彼女は文字通り、神にお仕えしていた。
マルタはイエス様に喜んでいただきたかったのだ。

けれどマルタはよくありがちな事だけれど、危険な間違いを犯していた。
イエス様をもてなすために働きはじめたのに、いつのまにかその事自体が、イエス様よりも重要になってしまったのだ。

おもてなしをしたい心は、当初イエス様に仕える手段でしかなかったのに、しだいに自分自身の満足のための手段に変わっていた。

食事はあくまでもイエス様に喜んでもらいたい事であって、自分自身の面目やプライドを保つための手段じゃない。
他の人がどうであれ、イエス様に喜んでいただきたいのなら、その事をし続ければよかったのだ。
マルタはその事をいつのまにか忘れていた。

ともすると忘れられがちなのは、仕える者は誰で、仕えられる者は誰かという事だ。
神を神として仕えているのか、それとも自分を神として、自己満足のために働いているのか。
この違いは大きい。

God Bless You!!


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