2011年12月4日(日)

2011年12月4日(土)


『罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである』ローマ人への手紙6章23節


罪が命にする事は、はさみで花を切るようなものだ。
茎のところで切ると、花は命の源を絶たれる。
最初のうちは、花はまだ色鮮やかでしっかりしている。
十分に魅力的だ。

けれども、しばらくすると葉はしおれ、花びらが落ちてしまう。
もう何をしても、花は二度とよみがえらない。

花を水に浸してみる。
茎を土に差してみる。
肥料を施してみる。
落ちた花びらを糊で茎につけてみる。
でも、どんなにしても花はもとには戻らない。
いや、戻れないのだ。

同じように、死んだ魂には命がない。
魂は、神から切り離されたら、枯れて死ぬ。
罪の結果は、ほんの少し不愉快な気分になるとか、少し後ろめたいとかではなく、死んだ魂を意味している。

死んだ魂のしるしははっきりしている。
心にイエス様がいない事だ。
イエス様のいない魂は、命の源から切り離されている。
罪の仕上げの仕事は、魂を殺す事だ。

あなたは、心からイエス様を追い出すのか。
それともお迎えするのか。
その結果は歴然たるものだ。

だから私達は決断しなければならないのだ。
今している事をそのままし続けるのか。それとも止めるのか。
イエス様を追い出すのか、お迎えするのか。

イエス様は、あなたの心の戸口の外に立って、私達の心のドアをノックしておられる。
だから、イエス様をお迎えしよう。
心を静めて、時間を取って、耳を傾ければ、必ず聞こえてくる。
トン、トンとノックされる音を。

God bless You!!


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