2011年12月11日(日)

2011年12月11日(日)


『あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい』ヤコブの手紙5章13節


祈りは、信仰生活の最終兵器じゃない。
賛美は、信仰生活のおまけじゃない。

私達が苦しい時には、祈ればいい。
喜んでいる時には賛美すればいい。
でも、祈りも賛美も「気分」じゃない。
これは「決断」だ。

苦しい時にも、その苦しみを紛らわせる方法はたくさんある。
カラオケ、パチンコ、お酒、暴食、友達とのバカ騒ぎ。
ひたすら眠るとか。

喜んでいる時にも、その表現は色々ある。
単に機嫌がいい、ニコニコしている、大盤振る舞いする人だっている。

これに何か問題がある?
ある。
確かに問題はある。
あなたの生活のどこに神がおられるのだろう。

私達が祈る時、その問題を神が取り扱って下さる。
あなたの苦しみを解決し、癒しを与えて下さるのは神しかいないのだ。
私達は賛美する時、その喜びは神が与えてくださったものだと知る。
賛美は感謝へと変わる。

祈りも賛美も、私達の人生に神を認める事から始まる。
では、神は私達の人生の苦しい時や喜んでいる時にしか存在しないのだろうか。
決してそうじゃない。

だから、毎日神を歓迎しよう。
私達の人生に神をお迎えしよう。
信仰生活を「気分」でするなら、これ程不安定なものはない。
祈る気分じゃない。
賛美する気分じゃない。
聖書を読む気分じゃない。

じゃあ、少しだけ言わせて欲しい。
もし神が「今日はあなたの祈りを聞く気分じゃない」と言われたらどうする?

God Bless You!!


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