2011年11月30日(水)

2011年11月30日(水)


『また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ(ますように)』エペソ人への手紙3章17節-18節


すべての事は「信仰」による。
神を理解するには「信仰」は欠かせない。

私達の小さな心で、神を理解する事なんてできない。
まして、神の愛を理解する事なんてできない。

でも神をほんの少しだけど理解する方法がある。
それはキリストの愛に生きる事だ。
確かにイエス様は私達の内に住んでおられる。
そして、私達を通して神の愛をこの世に示したいと願っておられるのだ。

だから、私達の隣人に愛をひとつ与えると、私達は神の愛の広さを少し知る。
私達の隣人に愛をふたつ与えると、私達は神の愛の長さをまた少し知る。
そして神の愛を与え続けると、神の愛の広さ、長さ、深さを少しだけど理解するようになる。

不思議な事だ。
人は与えたもの以上のものを得るようになる。

神は信仰のある人のところに来てくださる。
そして、今私達が持っている信仰はイエス様の命に代えていただいた信仰だ。
「信じるだけで救われる」。
何てシンプルなんだろう。
でもその背後には、壮絶なイエス様の十字架の犠牲がある事を決して忘れてはならない。

私達を地獄に行かせるぐらいなら、神はご自分が死ぬ事を決断された。
神の、それほどまでに熱い思いを、私達はどう説明できるだろう。

説明なんてできない。
でも、神の愛を知っている人だけが隣人を愛する事ができるのだ。
愛されている事を知っている人だけが、愛を与える事ができるのだから。

God Bless You!!

a:364 t:1 y:0