2011年11月3日(木)

2011年11月3日(木)


『すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである』マタイによる福音書7章8節


ある時、神に語りかけてくださるように挑んだ男がいた。
神よ、モーセになさったように柴を燃やしてください。
そうすれば私は従います。

神よ、ヨシュアになさったように、城壁を崩してください。
そうすれば戦います。

神よ、ガリラヤ湖でなさったように、波を静めてください。
そうすれば私は耳を傾けます。

そして男は、湖に近い城壁の傍らの柴のそばに座り込んで、神が語りかけてくださるのを待った。

神は男の言葉を聞かれて、答えてくださった。
神は炎を送られた。
柴にではなく、教会に。
神は城壁を打ち砕かれた。
レンガではなく、罪の壁を。
神は嵐を静めてられた。
湖ではなく、魂の嵐を。

そして神は男が応えるのを待った。
待って待って待っておられた。
だが、男が目をこらしていたのは、心ではなく柴で、人生ではなくレンガで、魂ではなく湖だったので、男は結局、神は何もしてくれないじゃないかと思い込んだ。

最後に男は神に目を向け、訊ねた。
あなたは力を失ったのですか。
神は男を見つめて、言われた。あなたは聴く力を失ったのか。

私達は知っている。
聞かれない祈りなどない。
神には神の方法があるのだ。

God Bless You!!

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