2011年11月21日(月)

2011年11月21日(月)


『信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである』ヘブル人への手紙11章6節


神を信じていない人が、神を賛美する事に何の意味があるだろう。
神を信じていない人が、教会で熱心に奉仕する事に何の意味があるだろう。
神を信じていない人が、捧げる捧げ物に何の意味があるだろう。
神を信じていない人が、捧げる祈りに何の意味があるだろう。

神を信じる事。
それを「信仰」と言う。
信仰者は、神がおられる事を信じている。
そして、神が私達のあらゆる事に対して報いて下さる事を必ず信じると言う。

誰も知らない所で、あなたが施した事を、神は知っていて報いてくださる。
あなたがかけた優しい言葉に、神は報いてくださる。
あなたが電車の席を譲ってあげた事を、神は知っていて報いてくださる。

そして、あなたが誰も知らない所で犯した罪もまた神は知っておられる。
あなたが悲しませた人達の嘆きを、神は知っておられる。
そう、神は私達の24時間を知っておられるのだ。

信仰とは、私達の24時間に神をお迎えし、神と共に歩む事だ。
私達の人生の中で神を意識する事、そこから「信仰」が始まる。

神を愛している人が捧げる賛美に、神は耳を傾けられる。
うっとりと、愛おしく耳を傾けられる。
たとえそんなにうまい賛美じゃなくても、神にとっては素晴らしいハーモニーだ。

神を愛している人の捧げ物を、神は受け取られる。
さいせん箱に2レプタを入れた貧しいやもめを覚えているだろうか。
イエス様は彼女の愛の捧げ物を称賛された。

神を愛している人の祈りを、神は何が何でも聞き遂げようとしておられる。
心の奥深くでうめいている祈りさえも主は聞いておられるのだ。

「信仰」と言う偉大な力を私達は持っているのだ。

God Bless You!!

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