2011年10月25日(火)

2011年10月25日(火)


『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである』コリント人への第二の手紙5章17節


私達はたくさんの隠し事を持っている。
でも神には何ひとつ隠し事はできない。

罪の告白とは、私達がしでかした事を神に知っていただく事ではない。
神はすでに知っておられる。
罪の告白とは、自分が間違っていた事を神と共に同意する事なのだ。

私達が自分の中にある罪を否定し続ける限り、神の癒しは現されない。
私達が決して罪を認めないなら、神はどうやって赦しを与える事ができるだろう。

神は私達が罪を告白する前から私達の罪を赦しておられる。
でも告白する事を待っておられる。

私達がしでかした失敗や、蒔き続けた悪い種は、イエス様の十字架でその代価は支払われた。
イエス様の命を奪う程の罪を犯していたのを気付かずにいた。

その事に気付く時、私達は本当の告白をするのだ。
「イエス様、ごめんなさい。そしてありがとう」と。

流暢な祈りなど必要がない。
心からの告白が必要なのだ。
それは神の愛を受け取る唯一の方法であり、私達が新しくされる瞬間でもある。
罪の告白には、そんな素晴らしい力だあるのだ。

God Bless You!!

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