2月26日(木)の手紙


『しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである』ガラテヤ人への手紙6章14節


英語の「血で書く」という表現は、大抵は文字通りではなく、命をかけて自分の言葉を守るという意志を伝える時に用いるそうだ。

ガラテヤ人への手紙は、血で書いたという比喩が当てはまる手紙だと言ってもいいだろう。

パウロは、愛と恵みのメッセージを書いたけれど、それは宗教指導者達の怒りを買うものだった。
キリストの死を、イスラエルの律法や儀式よりも崇めているので憎まれるだろうと知っていた。

割礼は、モーセの律法に全面的に従う生き方の表明だったけれど、パウロは、割礼や律法よりも、キリストの死と復活の方が重要だと教えた。
そのために、迫害されたのだ。

パウロにとって、キリストのための苦しみとは、文字通り自分の血を流す事でもあった。

パウロは、安全圏に留まろうとはしなかった。
イエス様の十字架が、歴史の中心だと知っていたからだ。
彼は命をかけて、言葉に尽くせない神様の愛を宣言した。
そして、神様は、十字架上で血を流し、至高の愛をあらわしてくださった。

イエス様は、私達への愛を示すために死なれた。
それなら、私達の愛を示すために、イエス様のために生きるべきじゃないだろうか。

God Bless You!!


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