2月20日(金)の手紙


『まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる』ガラテヤ人への手紙6章7節


年を重ねるごとに、ますます思いやり深くなる人がいる。
反対に、年々、気難しくて怒りっぽくなる人もいる。

自分はどちらに向かって年をとっているのかを知っておく必要がある。
加齢は、避けられないからだ。

短気になるとか、人の粗探しばかりするのは、年のせいではない。
長年の積み重ねが、その人を作ったのだ。
そんなふうになったのは、ずっとそうしてきたからではないだろうか。

パウロは、「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取る」と書いた。

自分の事ばかり考えている人は、自分にとっても周囲の人にとっても、不幸の種を蒔いている。
だけど、神様を愛し、人を思いやる人は、後に喜びを刈り取る。

C・S・ルイスは、言っている。
「ひとつひとつの選択や決断によって、その人の核となる部分、選択を決定づける中心の部分が少しずつ変えられていく」と。

だから、神様に自我をゆだねる決断を毎日しよう。
そして、主から力をいただいて、主と人のために生きていけるように祈り求めよう。
主が心の内に働らいてくださるなら、思いやりと親切心に満ちた人に成長する事ができる。

明日刈り取る実は、今日蒔く種で決まる。
私達は、どちらに向かって年を重ねているのだろう。
私達は、今日、どのような種を蒔いているのだろう。

God Bless You!!


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