12月23日(金)の手紙


2016年12月23日(金)

『こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである。』イザヤ書40章5節


メシヤは、謙遜という栄光を身につけておられた。

轟音を響かせる神、帝国や軍隊を将棋の駒のように自由自在にあやつれるお方が、固形物を食べる事も話す事もできず、おむつの必要な赤ん坊としてベツレヘムに現われ、ひとりの少女の愛にご自身をゆだねられた。

世の支配者達は、護衛を連れ、ラッパを鳴り響かせ、宝石類をきらめかせて闊歩する。
だけど、神が地上に来られた場所は、対照的だった。
動物の住む小屋で、従者もなく、寝床は飼い葉おけだった。
実際、歴史を二分した出来事の目撃者は、人間よりも動物の方が多かったかも知れない。

大抵の宗教では、神に近づく事は恐ろしい事だ。
神はイエス様を通して、私達が怖がらずに神に近づけるようにしてくださった。
神は、人に仕え、人を救うために、キリストにあってご自分の偉大さを隠しておられたのだ。

God Bless You!!

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