12月22日(月)の手紙


『御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう』ルカによる福音書1章35節


イエス・キリストの誕生は、他の人の誕生とは違っていた。

マリヤの受胎は、「別世界」からのものだ。
御使いが、語った通りに。

彼女の内に宿ったいのちは、外の世界から来られた。
それもそのはず、マリヤに生まれた男の子は、インマヌエル(「神は私達と共におられる」の意味)だったのだから。

ベツレヘムに生まれた赤ん坊は、天から下って来られた。
神様はマリヤの小さな息子となって、この世に来られた。
私達の罪の贖いは、神が人となって来られた事で可能となった。

ここで、考えてみよう。
私達自身の新生、即ち新しいいのちも、外の世界から来る。
イエス様は、人は御霊によって新しく生まれると言われた。

救いは、この世にその源があるのではなく、イエス様を通して与えられるものだ。
だから人の心は、ある意味では「ベツレヘムの家畜小屋」だと言える。
イエス様が、この世に来られた場所。
私達が信じて心の扉を開けると、イエス様は私達の内にお生まれになるのだ。

私達は、内なるキリストの力によって、キリストを伝える。
キリストは、私達の生活のすべてに働いてくださる。

私達は、「ベツレヘム」だ。
現代の世界に、キリストがお入りになる入り口なのだ。

God Bless You!!


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