2016年11月25日(金)
『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。』マタイによる福音書23章23節
イエス様の生涯を学んでいると、いつもひとつの事実に驚かされる。
それは、イエス様を最も怒らせたグループとは、外面的にもイエス様に最も良く似たグループの人々だったという事だ。
イエス様は、モーセの律法を守り、指導的なパリサイ人の教えを口にされた。
にもかかわらず、パリサイ人を最も強い攻撃の的として選び、蛇やまむしのすえども、愚か者、偽善者と呼ばれた。
パリサイ人は、人生を捧げて神に従い、きちんと十分の一献金をし、律法を遵守し、改宗者を得ようと宣教師を送っていた。
また、世俗主義や相対主義に対抗して、伝統的価値をしっかり守っていた。
それなのになぜ、イエス様は激怒されたのだろう。
パリサイ人達に対する激しい非難は、イエス様が、律法主義の毒牙がいかに大きな脅威だと考えておられたかを示している。
その危険は捕えにくく、つかみ難いものだった。
また、律法主義の危険は、今日でも変わらぬ脅威だ。
イエス様は外見を気にする事を咎めて、「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている」と言われた。
もともと神に愛を示す手段だった律法が、人に良く思われようとする手段になった。
霊的に成長したという証拠は、自分がいかにきよくなったかという事ではなく、いかにきよくないかを自覚する事だ。
その自覚こそが、神の恵みの扉を開いてくれる。
God Bless You!!
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