11月23日(水)の手紙


2016年11月23日(水)

『あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか』へブル人への手紙12章7節


なぜ、失望や悲しみ、困難な状況に苦しめられるのだろう。
試練を与えられるような事をしたのだろうか。
神は、私達に対して不満をもっておられるのだろうか。

このような恐れと疑問は、多くの場合、神に対する誤解のために起こる。
神は、正当な理由をもっておられる。

そのひとつは、霊的なしつけだ。
神に放っておかれる事は、神に懲らしめられる以上に恐ろしい事だ。
なぜなら、神は、実を結ぶ見込みのない無価値なものに関わって、時間を浪費したりなさらないからだ。

こんな話がある。
ある湖のほとりに、まったく鋤を入れられた事のない広大な砂丘があったそうだ。
だけど、その向こうには、土壌の豊かな低地があって、農夫が常に鋤を入れて土を耕している。

彼はその意味をよく知っていた。
鋤が深く入れば入るほど、また、鍬が鋭ければ鋭いほど、よい収穫が期待される。

確かに、神の鋤は深いけれど、私達は最後になってやっとそれを忘れ、主のために豊かに実らせていただく事ができたと喜ぶだろう。

聖書は語っている。
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平和の義の実を結ばせます」と。

God Bless You!!

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