11月22日(火)の手紙


2016年11月22日(火)

『わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。』マタイによる福音書5章11節~12節


へブル人への手紙11章には、似たような記述がある。

素晴らしい信仰の持ち主として、私達に馴染み深い数々の名前の後に、「ほかの人たち」と記されている殉教者達がいる。
彼らの名前は記されていないけれど、彼らの苦しみや死についての記述がある。

また、「この世は彼らにふさわしい所ではなかった」と、賞賛の言葉が贈られている。
彼らは、イエス様を信じる信仰の故に勇敢に死んでいった。

今日、世界中でクリスチャンが迫害を受けている事を耳にする。
だけど、私達の多くは、そのような試練を受けていない。
キリストを信じているので殺されるという状況が起こったら、私達はどうするだろうと自分を省みつつ考える。

だけど「なわめと苦しみが私を待っている」と語ったパウロの姿勢にならいたいものだと思う。
パウロは、「自分の走るべき行程を走り尽くし …神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思わない」と語っている。

私達は、そのような信仰の姿勢で人生と向き合っているだろうか。

God Bless You!!

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