1月14日(木)の手紙


2016年1月14日(木)

『これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである』エペソ人への手紙1章6節


ある独身の宣教師は、自分を好きになれずにいた。
幸せを感じる事は少なくなかったのだけれど、何にも増して、信仰が成長しない事が不満だった。

ある朝、鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめ、しばらくして、ゆっくりこうつぶやいた。
「主よ。私が私である事を感謝します。
他の誰にもなり得ない事を、ありがとうございます。」

これが、解放の瞬間だった。
彼女は、自分を受け入れる事ができた。
自分は、神のご計画によって造られたふたつとない存在で、キリストがあがなってくださり、代用品も複製品もあり得ないのだと気づいたのだ。

自分の事を、駄目なクリスチャンだと思って、落ち込んだりしていないだろうか。
祈りや伝道、奉仕の模範になれない二流のクリスチャンだと感じる事はないだろうか。

聖書は、「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けている」と語っている。
釘で打たれたイエス様の御手に人生をゆだねるなら、感謝の心で自己否定を退け、自分を受け入れる事ができるだろう。
私達は、主イエスにあって選ばれたのだから。

救いというイエス様の無償の贈物を受け取るなら、私達は解放され、自分を受け入れる事ができる。
これが、解放の真理だ。

God Bless You!!

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